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父の最期

2012.11.13 20:55|死生観
今日は、2012年6月7日に自身のFacebookページに掲載した内容を転載させていただきたい。6月2日に他界した父の死の瞬間をどうしても記録に残しておきたいと考え投稿したものだ。


父は、死の数日前からいつ亡くなってもおかしくない状態でした。5月31日にドクターから念押しのように、今この瞬間逝く可能性もあると伝えられ、病院に泊まり込むことにしました。6月1日の夕刻、同じ病院に入院中の母に、少し部屋で休むように勧めたところ、9時まで休んだ後、父の病室に戻ると言い残して病室を去りました。

その後、以前投稿したようにドクターが父の病室を訪れ、その時45だった血圧の上の値を見て、父があり得ない状況の中でまだ頑張っていることを教えてくれました。9時を過ぎると血圧は45を切り、脈拍も85くらいになってきましたが、僕が脚を叩き、「戻って来い」と呼びかけると数値は上昇しました。数値を示すモニターを見ながら、僕が呼びかけたり、父の身体を叩いたりすると状況は好転するので、あたかも僕が父の最期をコントロールしているような気持ちになりましたし、事実、コントロール可能でした。母はまだ父の病室には戻って来ませんでしたが、もう少し休ませてあげたいと思い、あえて母を呼ぶことはしませんでした。僕には父の状況が大体理解できるようになっていましたので、ぎりぎりまで母を休ませてあげたいと考えて。

僕が父についている間に父は喀血しました。肝機能が完全に失われていたので、血を止めることができなくなっていたのです。また、かなり痰が絡んで苦しいようで、看護師さんから何度も口と鼻から吸引をしていただきました。その痰には血が混じり、吸引してもらう度に、父は相当苦しそうな表情を浮かべ、唸り声を上げました。

11時頃、母が寝過ごしたことを詫びながら慌てて父の病室へ戻って来ました。僕は、わざと呼ばなかったと説明し、その後は二人で父を見守りました。母に、父の状況、苦しそうだった様子を伝えると、「じいちゃん頑張ったよ。もういいんじゃないかな」。僕が脚を叩いたりすれば、まだしばらく生き続けられることを伝えても、母は、もう父を苦しめたくない、という気持ちが強いようでした。僕が父をなるべく長く生かしたいと考えたのは、あと数時間頑張れば、孫たち(姉の子供たち)に会える可能性があったからです。その点を考慮しても、母はもう父を逝かせてあげたいようでしたし、僕も同じ気持ちでした。それで、もう何かすることを止め、自然のままにすることにしました。

母が左手を、僕が右手を握る中、父の脈拍は、70、60、50と、どんどん下がっていきました。僕は「親父、お疲れさま。本当にありがとうございました」と涙ながらに言いつつも、母に、「本当にこれでいいのかな」と問いかけました。母も涙を流しながら静かに頷きました。そして二人で、モニター内の脈拍の数値が0になるまで父の手を握り続けました。父の息遣いはどんどん穏やかになり、最後は呼吸がなくなりました。

これが父の最期の様子です。こんなことを読むことに不快感を覚えられる方もおられるかもしれません。それでも、僕はどうしてもこの事実を記録に残しておきたく、また、どなたかに共有していただきたく、あえて書かせていただきました。父の人生は華やかさとは無縁のものでした。社会的地位、名誉、金銭的要素、どれをとっても至極地味なものでした。ただ、そのような父こそ、僕にとっては誰よりも尊敬できる存在であり、彼を知る多くの人たちに愛された人間であったことを決して忘れずに生きていきたいと思います。



これを書いてからもう5ヶ月。季節も、少し汗ばむような初夏から、雪国に厳しい冬の訪れを予感させる晩秋となった。いくら時が過ぎ去って行っても、僕は父の死の瞬間を忘れることはできない。

僕は偶々病気療養で実家に戻っていたため、父の最期に立ち会うことができた。首都圏でサラリーマンをしていたら、おそらくそれは難しかっただろう。それでも、今でも自分に問いかけることがある。僕がそこにいることができたのは幸せなことだったのだろうか?

確かに父の人生の最後の数ヶ月を共に生きることができたことは、心から幸せだったと思う。しかし、父の命が徐々に薄れていくのを、傍観者として見つめ続けたショックは思いのほか大きかった。ある種のトラウマと言えるのかもしれない。例えば、それがドラマであれニュースであれ、テレビで入院患者の姿を観ると胸が苦しくなる。また、心拍数低下を知らせる器機の、あの独特な音を聞くと、一瞬軽いパニック状態になり、テレビをオフにしてしまう。

しかし、と一方で思う。もし父を見送ることができなかったとしたらどうだろう。自分に生を与えてくれ、育ててくれた人。そして自分が最も尊敬し、心から愛する人の最期の瞬間、その場に自分がいられなかったとしたら…。

40年以上この世に生きてきて思うのは、ありきたりな表現かもしれないが、行動を起こさなかった時の後悔の方が、行動を起こした時の後悔よりも大きい、ということだ。僕の場合は、父の死に際して地元におり、もしどうしても嫌なら父の死の瞬間を見る、という大きな悲しみを避ける選択もできた。しかし僕はその死に立ち会うという選択をした。というよりは、その選択以外は考えもしなかった。

上述させていただいた父の今際の際を思い浮かべると、今でも息苦しくなり、涙を抑えることができない。しかし、僕の人生における父の存在の大きさを考えると、僕がその死に立ち会うことは息子としての義務であったと思う。数奇な運命を経て、最期の時を過ごすことが許された親子。そう、「許された」のだと僕は思う。この先記させていただくであろう僕の人生を考えると、「許された」というのが正確な表現の仕方なのだと今は思う。


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