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父を知る人

2013.05.10 23:05|死生観
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先日、この地区の区長(町内会長のような役職)をしてくださっている方に、「家のパソコンの設定がうまくいかないので見てもらえないか」とお願いされ、お宅にお邪魔した。新しいセキュリティソフトのインストールが上手くいかなかったことと、2台目のパソコンでのOutlookの設定の方法が分からなかったようだ。

パスワードなどの基本情報を紛失されていたため、プロバイダーへ再発行を依頼したので数日かかったが、僕のようなそれほどPCに詳しくない者でも何とか対処できるレベルの問題だったので、少しはお役に立てたようだ。

何度か区長ご夫妻のお宅にお邪魔した際、父の話になり、父がそのお宅の改修をさせていただいていたことを知った。区長さん曰く、「うちみたいな古い家は、最近の大工さんじゃなかなか直せなくてね。昔ながらの大工さんが少なくなっているからね。お父さんには本当にお世話になったんだよ」。

何十年も実家から離れていた僕は、父がご近所の方のためにそのようなことをしていたことを全く知らなかった。そう言えば…、と思い出す。昨年父が亡くなった時、お参りに来てくださった方々の何人もが、「お父さんに家を建ててもらったんだよ」、「うちの二階を増築してもらって」などと僕に伝えてくださったことを。

建設会社に勤務していた現役時代、そしてその会社をリタイアして以降も、父はこの辺りの様々な皆さんに「職人」として貢献していたようだ。

「職人」。父はこの言葉がとても好きだった。時に自分を卑下し、時に自身の仕事への誇りを込めて、彼がこの言葉を口にしていたことをよく覚えている。

父とは酒を酌み交わしながら、政治から人間の生き方まで、様々な事柄について議論した。まだ若かった頃の僕は、「理」のみが正義だと信じ、父に意見することがよくあった。世の中のことをよく知りもしないくせに、自身が知る狭い世界の中での価値観だけで偉そうに、父に対して独自の「理」を説いていた。

そんな、今思えば恥ずかしいほどバカな僕に対しても、父は決して反論することはしない。「俺はバカだから」、あるいは「俺はただの職人だから」という枕詞を使い、やんわりと僕を諭してくれた。

父がどれほど懸命に仕事に取り組み、必死で家族を守り、そして持ち得る限りの力で地域に貢献していたのかを、僕は全く理解していなかった…。

父亡き後、近隣の方々からの父に対する言葉をお聞きする度、父がどれ程立派な人間であったのか、そして、自分がどれほど小さい人間だったのかを思い知らされる。

職人としての父の仕事に対する感謝の言葉も、僕から見れば、逆に父が仕事をいただいていたわけで、こちらが感謝することはあっても、父の死に際して、お客様側から感謝の言葉をいただくなど思いもよらないことだった。

もちろん、田舎であれ都会であれ、全てがビジネスライクに事柄が進むわけではない。僕は、どちらかというとクライアントという立場でパートナーの方々と仕事をすることが多かったが、僕みたいな人間を支えてくださった方々には心から感謝しているし、その気持ちを忘れることは決してない。

ただ、父の仕事に関しては、上手く説明できないのだが、あえて説明を試みれば、僕が経験してきた、いわゆる「ビジネス」という概念を離れ、田舎ならではの「互助」といったようなものを感じる。それゆえ、客も業者も両者の最大限の幸せのためにお互いを尊敬し合い、それによって日常というものが動いている。理解していただけるような表現ができているかどうか分からないが、そんなふうに感じる。

仕事を依頼する側には、「顧客なのだから良い仕事をしてもらって当然」というような発想はあまりなく、それよりは、「あなたという人間にこの仕事を任せましたので、どうか期待通りの仕事をしていただきたい」という想いを感じ、父のような職人は、ベストを尽くしてその期待に応えようとしていたのだという気がする。

父は大工だったので、誰にとっても、おそらくは一生で一番大きな買い物である「家」を造ることに携わっていたため、そのような人間関係が構築されたのかもしれない。そのような関係性の中で、父がお客様の期待に違わぬ仕事をしたことによって、父が亡くなった時、多くの方が父を評価してくださったのだろうと考える。

僕のような薄っぺらな人間がどれほど言葉遊びをしようとも、父の人生、そしてそれに関わってくださった皆さまについて、正確に表現することはできないことは分かっている。それでも、父が去ってしまった今、父の行状を讃えてくださる方々の言葉を受け取ることができるのは、息子としてこの上ない幸せだ。

そのような父と、もう二度と会えない、そして議論できないことは、本当に悲しい…。しかし、父はこの世で成すべきことを全て成し、それゆえこの世を去っていったのだろう。

父の告別式で喪主だった僕は、「どうか、たまにでも、一瞬でもいいので、父という人間がこの世に生きていたということを思い出してください」と挨拶させていただいた。だから、僕が顔を出すと、「あなたのお父さんは…」と話してくださるご近所の皆さまに心から感謝したい。そういう言葉を聞くと、僕だけではなく、たくさんの方々の心の中で、今なお、父が生きているのだと実感できるから。


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