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母の悲しき望み…

2013.03.23 01:33|死生観
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少し前の記事、「サクラサケ」で僕の姪が高校受験をするとお伝えした。彼女は無事合格し、孫の幸運を祈っていた母もとても喜んでいた。

バイト先がうちの近所であるため、よく我が家を訪れる彼女の姉に母は、「合格祝いを渡したいから、近いうちに連れてきてよ」と伝えていた。彼女は、「時間があったらね」と曖昧に答えていたのだが…。

母が「近いうちに」と言っていたのは、来週から母は膝の手術のためしばらく入院しなければならないため、その前に合格した姪を祝ってあげたいと考えていたためだ。

入院が数日後に迫っている母は今日の夕食時、「なかなか来てくれないねぇ」と寂しそうに呟いた。高校に合格した姪は、母と折り合いの悪い姉の娘なので、僕は「あんな連中は気紛れだから来ないよ。お祝いなんてあげなくてもいいんじゃない」と素っ気なく言い放った。

でも僕には分かっている。姪たちは、母が「悪い人」だと姉から洗脳されているので、決して母を慕ってはいないことを。それを知らずに、姪たちが来てくれるのを楽しみにしている母を見ていると、可哀そうで、そしてある意味哀れで、涙を流しながらこれを書いている。

僕は2度も結婚したのに、孫を残してあげることができなかった。だから、母にとっては姉の子供たちだけが愛すべき孫なのに、その孫たちに振り向いてもらうことができない。

そんな母を見ていると、辛くて、悲しくて、情けなくて…。

人と人との関係は一様ではない。全くの他人であっても、心からの信頼を構築できる場合もあれば、最も身近な肉親でも、互いに傷つけ合う関係もある。

母も姉に関してはあきらめの境地にありつつも、「孫たちは私を慕ってくれるはず」と信じており、できることなら僕もそうであって欲しい。ただ、それが「叶わぬ夢」であることを、僕は知っている。姉とその家族は、世間の常識では計りえない人たちであることを、様々な経験をしてきた僕にはよく分かっているので。

田舎で生まれずっとそこで暮らした人の良い母には、想像もできない人間がこの世には存在する。それが自分の娘であることは、彼女にとっては大きな不幸だが、それは否定できない事実なのだ。

昨年、父が癌で入院していた時、その父を見舞いに来ても、肩の手術で入院していた母のところには決して来なかった姉とその家族。僕から見れば、彼らは「普通」ではない。

僕は合理的な人間なので、実の姉、そしてその家族が僕と関わり合いたくないのであれば、それはそれとして冷静に受け止め、自分から彼らと積極的に関わり合うつもりはない。

しかし、母はそうではないのだろう。僕には、「(彼らには)何も期待していないよ」とは言うけれど、それが本音ではないだろう。

実の娘が、自分が入院しても見舞いに来ない。そして孫たちも同様だろう。だから僕は、今回も毎日母のところに通う。母は、僕なんかよりも余程姉に、あるいはその家族に来てほしいと思っているかもしれないが、それに関しては僕は何もできない。

母の想いに応えてくれない姉家族に腹が立つというよりは、それを期待している母があまりに哀れで、今僕は泣いている。

お父さん、お母さんだってもう長くは生きられないんだから、何とかならないかな。今はもう天上にいるお父さんの力で、何とかならないかな…。


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三本の矢

2013.03.18 23:28|死生観
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安倍内閣が誕生して以降、その経済政策が「三本の矢」と呼ばれ、ニュース等で盛んに報道されている。

「三本の矢」とは皆さんご存知のように、戦国大名・毛利元就がその三人の子、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景に、「一本の矢では簡単に折れるが、三本まとまれば簡単には折れないので、三人が結束すること」と教えたものとされる。


「三本の矢」…。この言葉を聞くと胸に去来する思いがある。

父が亡くなる2カ月ほど前だっただろうか。父の病室で僕と母はいつものように、ベッドに横になっている父と話したり、父が疲れて話を止めると、それを静かに見守ったりしていた。

そんな中、極力父の前では愚痴のようなことを言わないよう心がけていたのだが、その日はつい、僕が治る見込みがないと思われる、不自由な足の話をし、将来への不安を口にしてしまった。

突然、父は点滴に繋がれた腕であるにもかかわらず、指を三本立てた。

「三本の矢だ!」。「俺とお前、お母さんとで頑張れば何とかなるよ」、父は僕にそう語った。もう自身の死がそこまで迫っているにもかかわらず、彼は僕にそんな言葉をかけてくれた。

その時の父は死期が迫っていることを理解していたのだろうか。

思うに、彼はそんないい加減なことを言う人間ではない。当時の父は、きっとまだ自分は生き続けることができる、と信じていたのだ。そのうえで、「お前がどんな状況にあろうとも、俺は父としてお前を護り続ける」という気持ちを僕に伝えてくれたのだろう。

これが、父がはっきりと僕に語ってくれた、最後の言葉のうちのひとつとなった。

ブログ友達の一人にこの話をしたところ、彼は、「母を亡くした時、我が家は私だけの『たった一本の矢』になってしまいましたが、それでも『折れずに』頑張っていたら、今では『四本の矢』に増えてしまいました。。。男は年齢とは無関係です。その内、『三本の矢』に戻る事を期待しています!」というコメントを与えてくれた。

父が遺した言葉も、そして、親を亡くすという苦しみを理解しているブロ友からいただいた言葉も、僕にとっては一生忘れられない、とても重く、そしてありがたいものだ。

今のところ二本の矢である我が家は、一本になることがあるかもそれない。あるいは三本になることもあるかもしれない。

三本の矢は確かに心強い。いつまでもそうであれば、それはすごく幸せなことだ。しかし、人生、そのようにいかないことも分かっている。大切なのは、例え一本になり折れそうになったとしても、折ろうとする力を受けながらも上手にしなり、決して折れないように努力することなのではないか、などと思う。

矢が一本になったとしても、その矢の心の中に、去ってしまった二本の矢に対する強い想いがある限り、決して矢は折れない。そうありたいと思うし、そうであってほしい。


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サクラサケ

2013.03.10 15:58|死生観
無題
(写真はみのかみマスカット園BLOGより)


父は床の間に掛軸を掛けておくのが好きだった。どこから入手したのかは母も知らないらしいが、彼は何種類もの掛軸を持っていた。確か、山水画のようなものがいくつかあったと思う。

そんな父の「コレクション」の中で、毎年この時期に登場するのが「菅原道真」。母によると、当初は姉や僕の合格祈願のため飾っていたようだが、それが習慣となり、毎年、年が明けると道真公が登場するようになったようだ。

僕の高校受験の時、大学受験の時、無口な父は特に何も言わなかった。「頑張れ」とか、「緊張するなよ」とかそんなことを言うタイプではない。でも、心の中では誰よりも僕の合格を祈っていたのだろう。口にはしないものの、その思いを道真公に託して…。

昨年の今頃は…、父は病院での闘病生活。母は雪降しと、父と僕の看病とで身体がボロボロになり入院直前。僕はようやく杖をついて歩けるようになり、車で毎日父を見舞っていた。だから、誰も心の余裕などなく、道真公が登場することはなかった。

今年は…、1月の終わり頃、父に代わって僕が道真公にご登場いただいた。実は、明日は父の孫の一人、僕の姪の高校受験。

彼女は感情の起伏が少なく、照れ屋で、甘え下手。だから父にすごくなついていたわけではない。しかし、父の葬儀の時、そのポーカーフェイスは相変わらずだったが、彼女の頬を伝っていた涙が、僕の目には焼き付いている。

だから、というわけではないが、彼女の合格を祈っているであろう父の代わりに、そして、会う機会は少ないものの、血の繋がった叔父として、掛軸を掛け替えた。

ここ数日は、この雪国にもようやく春の訪れを感じさせるような、穏やかな日が続いていた。しかし、今日は一転して雪が降っている。明日も降雪の予報なので、受験が混乱しないか少し心配だ。

色々事情があって、直接彼女を激励することはできない。ただ、父が思うのと同じくらい彼女に「サクラサク」ことを、ただただ祈っている。

人間誰しも失敗したり、挫折したり、あるいは思いもよらぬ不幸に陥ることがある。僕らは完璧じゃないのだから。それらを乗り越えることによって、人は成長し、前へ進むのだろう。

ただ、経験しなくて済むのであれば、そのような経験を、まだ15の可愛い姪にさせたくはない。

きっと大丈夫だと信じている。信じているのだけれど、僕なんかの力じゃ足りない気がする…。

だから、お父さん。天国から彼女の合格を応援してね。よろしく頼むよ。雪国では、桜の開花はまだまだ先だけど、一足早く咲く桜を期待しています。


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父が遺したもの

2013.03.05 22:27|死生観
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上の写真は、父が大切にしていた金のなる木。雪国の厳しい冬の中、寒い場所に放置しておいたのに、じっと我慢して頑張っていた。少し前に、母にリビングに入れたらどうかと提案し、そうしたところ、どんどん蕾が膨らみ、今やもう満開!

父は多少の酒は嗜んだものの、道楽らしい道楽などすることもなく、とにかくいつも働いていた人間だった。数十年大工として働きリタイアした後も、様々な方々から頼まれて大工家業を続けていた。加えて、近くの温泉宿の風呂掃除のバイトまでしていた。

一流の職人として建設会社での仕事を全うした後、風呂掃除にまで行くなど、僕には考えられないことだ。しかも大したお金になるわけでもかったのに。

そして、数年前、母が心臓の手術をして以降は、それまでは母が行っていた畑仕事もするようになった。とにかく働くことが自分の使命と感じているかのような人生だった。

そんな父の数少ない楽しみのひとつが、庭で草花を育てたり、鉢植えを愛でること。彼が亡くなった後、庭にも家の中にも、多くの草木や盆栽などが遺された。母は肩の手術をし、僕は足が不自由であるため、それらの管理が行き届かず、生命力の強くなかった植物の多くをダメにしてしまった。

それでも母は、自分で管理できるものは極力残そうと頑張り、僕も活力剤や肥料などをあげたりして、主要なものは何とか生き残っている。

そうした植物を見ると、父がそれらを植えていたこと、鉢植えに水をあげていたこと、色々なことが思い出される。彼は雪国の山奥に生まれ、その後、その地よりは少し便利なところで生涯を終えたが、小さい頃から慣れ親しんだ自然を、心から愛していたのだろうと思う。

身体が不自由な母と僕とでは、父ほどの愛情を植物たちに注いであげられないけど、できるだけのことをしているから、心配しないで。

僕も父の血を継いだのか、観葉植物が大好きで、都内に住んでいた頃は、10を超える鉢がマンションに溢れていた。それらは僕の健康に比例するように、次々に生命を失ってしまったが、今でも実家で、パキラとドラセナ・コンシナが元気で頑張っている。

父は母と僕に、かけがえのない想い出をたくさん残してくれた。仕事熱心だったので、それほど旅行には行けなかったけど、家族で行った温泉、海水浴、そして実家で楽しく飲んだこと、庭でのバーベキュー…。それら一つひとつの想い出は、今の僕にとっては、ダイヤモンドよりもキラキラ光る輝かしい記憶となっている。

そうした想い出、あるいはたくさんの植物。確かにそれらも父が遺してくれた大切なものだ。でも、父が僕に残してくれた、それ以上に大切なものは、勤勉に生きることの大切さ。他人がどう見ようが、格好悪かろうが、自分自身の信念に従って必死に、そして真面目に生きること。

多分それは父がそうしていたような、肉体労働に限らないのだと思う。どんなことにであれ、一生懸命取り組み、地道に努力する。そのような生き方こそが真に美しいものであり、それが「生きる」ということなのかもしれない。

僕が父のように「美しく」生きることができるかどうかは分からない。ただ、父の遺した金のなる木の満開の花が僕に言い聞かせてくれているような気がする。

「一生懸命生きろ!他人は関係ない。不細工でも、全力で人生を生き切ること。そこにこそ、人間が生きる意味があるんだ!」。

日々不安と闘い、自分でもどうコントロールできるか分からない人生。それが僕の現状ではあるが、僕が感じるその父からの言葉を胸に、一日一日を生きていきたい。


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