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心からの御礼

2013.02.23 23:21|死生観
525981_457502030958894_930570619_n.jpg(写真は父の生家近く)


今日は、これまで本ブログにコメントしてくださっていた皆さまにお詫びを申し上げたいと思います。こちらの管理不行き届きで、「無視」したかたちになっておりましたこと、本当に申し訳ございません。FC2ブログに慣れていないため、昨日、ようやく様々なコメントをいただいていたことに気付きました。

purotoko様。何度も元気が出るコメントをいただきまして、本当にありがとうございます。不幸な境遇にある今の私にとって、見ず知らずの方が温かいお言葉をかけてくださることを知るだけでも、大きな勇気を与えていただくことができます。

cherry様。ご自身のご経験からのお言葉、心に染み入りました。また、「ドイツでは誰も病院で死にたくないから、死期が近づいたら自宅に帰って、静かに死を迎えるとのことです」とのお話、とても共感を覚えました。母に何かあった時は、必ずこの家で最期の日々を送らせてあげたいと思います。

Ayakikki様。大変なご経験をお話しいただきまして、本当にありがとうございました。私のように親を亡くしたばかりの者は、得てして自分だけが不幸のどん底にいるかのように思いがちですが、この世を生きる様々な方々が、それぞれ困難を乗り越え生きてらっしゃることを再認識させていただきました。

私の「FC2リテラシー」不足のため、上でお礼を述べさせていただいた皆さま以外に、私が認識できていない方がおられましたら、大変申し訳ございません。そのようなことのないよう、もっと勉強させていただきますので、どうぞご容赦ください。

最期に、改めまして、皆さまから温かいコメントをいただきましたこと、心より感謝申し上げます。また、本ブログにお立ち寄りいただいている全ての方にも、心からの御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

今後も色々落ち度があるかと思いますが、引き続き本ブログにお立ち寄りいただければ幸いです。

P.S. 天国にいる父との再会を願ってよく聴いているEric Claptonの'Tears in Heaven'を、天国におられる愛しき人を想う全ての皆さまに捧げます。






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哀しき「命のリレー」…

2013.02.10 23:31|死生観
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昨年の今頃、僕は寝たきりだった。

交通事故をきっかけに発症した、原因不明の手足の痺れ・痛みがどんどん悪化し、一昨年の夏頃から、ほぼ寝たきりの状態になった。しかも、その痛みを取るために処方された薬の副作用によって、薬剤性過敏症症候群という相当危険な病気をも発症した。

治療に使われたステロイドのためか、顔は倍くらいに腫れ上がり、身体中が紫色の発疹で覆われ、人間はここまで醜く変わるのか、というほど凄惨な状態になった時期もあった。

そんな状態で、一昨年の11月に実家に戻ったのだが、その時の僕を見た母は、「この子はこのまま死ぬかもしれない」とすら感じたようだ。実際、味覚障害もあり、何を食べても味がしないため、唯一味を感じることができるグレープジュースしか口にしていなかったため、70キロほどあった体重は50キロ程度にまで減っていた。

身体中に激痛があるため、一人でトイレに行くのも、椅子に座るのもやっとの状態で、指先の痛みのため、医師から処方された薬を自分で出すことすらできなかった。

加えて、担当のドクターは痛みを抑えるための薬をいくつも試してくれたのだが、そのうちのひとつの副作用のため、今度は髪の毛がボロボロ抜け始めた。シャンプーをしている時、どんどん抜けていく髪を見た時の恐ろしさ、悲しさはいまだに忘れられない。最終的には、眉毛も含め身体中の毛という毛が抜け落ちた…。

当時は、自分でもこのまま死ぬかもしれないと思った。全身の痛みは全く引かず、寝ている意外に何もできない。夜も痛みのため眠ることができなかったので、常に頭がボーっとした夢うつつの状態だった。

そんな僕が、昨年の2月後半から奇跡的に回復し始め、車の運転もできるようになった。おそらくは、僕の髪を奪っていった痛み止めが効いたのではないかとドクターは推察していたが、原因不明の病気だけに、彼にも確証はなく、僕から見ればまさに「奇跡」としか考えられない。

動けるようになって以降、僕は毎日、癌で入院中の父を見舞った。しかし、僕の健康が少しずつ回復するのに反比例して、父の病状はどんどん悪化していった。

僕が父のところに通い始めた頃はまだ二人部屋にいたのだが、すぐに個室に移され、それから数カ月、この世を去るまでその部屋で過ごすことになった。

言葉も徐々にはっきりしなくなってきて、母には父が言っていることを理解することができず、僕が「通訳」のような役割を果たしていたが、そのうち、僕にも父の言葉は分からなくなってきた。

寝たきりの状態を脱し、父を見舞うことができるようになった僕ではあったが、それは、まさに父が死へと向かって着実に進むプロセスを見せつけられる日々だった。僕が父のところへ通い始めてからは、父の病状が改善されることは一切なく、悪化の一途を辿った。

それはあたかも、僕が少しずつ病気から回復するために、父が自身に残されたごくわずかなエネルギーを与え、それ故、父はどんどん弱っていくかのようだった。

結局父は死に至り、父の通夜・葬儀を取り仕切らなければならなくなった僕は、少なくとも、短時間であれば立っていられるようになり、無事にそれらを執り行うことができた。

そんなことがあるはずはないと思いながらも、今、僕は感じる。父は、自分の命を縮めることによって僕を助けてくれたのではないかと。

僕の回復具合と、父の病状の悪化とを並べて見た時、そう思わずにはいられない。

僕はまだ、手足に痛み・痺れがあり、完全な健康を取り戻してはいない。この先、昔のような健康体になれるかどうかも分からない。そうした日々を生きることは、途轍もなく不安であり、弱気になることも多い。

ただ、父が自分の命を僕にリレーしてくれたのだと考えれば、それは間違いなく僕に力を与えてくれる。目下、惨めで、悲しくて、幸少なき人生を送ってはいるが、父から譲り受けた「命の襷」を胸に、いつか復活できる日を信じて今を生きている。天国の父は、こんな僕を見てくれているのかな…。


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人が死ぬということ

2013.02.05 00:40|死生観
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(写真は「どさんこ」より)


父が死んでからもう8カ月。月日がどれほど経過しようとも、流れる涙は止まることを知らず、悲しみが薄れることは決してない。

毎日、仏壇の父にお参りしているが、遺影の中の彼を見る度に涙が溢れてきて、在りし日の彼を思い出さずにはいられない。母も、「じいちゃんの写真の前を通ると、必ず涙が出る」ようだ。それでも彼女は、「じいちゃんは一人で逝ったけど、私たちは一人じゃないからね」と、自身を励ますように語る。

これまでの人生で、様々な人の死に遭遇してきた。先輩、同期入社の親友、僕より若い従弟、祖母…。その時々、深い絶望と悲しみに襲われたことは間違いない。しかし、親が死ぬということは、全く次元の違うことなのだと思い知った。

この世の多くのことは、お金なり社会的地位があれば解決できる。それは、日常生活で起こる様々な事柄のみならず、命ですらも。

病気を患った人間は、誰もが平等ではない。お金やコネのある人間は、考え得るベストの医療を受けることができる。一方、そうでない人間は、誰が主治医になるのか、執刀医になるのか選ぶ術はなく、いわば自身の命を運に任せるしかない。

ことほど左様に、この世に存在する限り、少なくとも「恵まれた」人間は、ある程度物事を自由にコントロールすることができる。

しかし、死んでしまったら、お金、社会的地位、名誉などなんの意味も持たない。僕はあの世のことは分からないので断言はできないが、少なくとも残された人間にとっては、それらによって死者に影響を与えることは不可能だ。

盛大な葬儀を営む、立派な仏壇や墓を作る。それくらいのことはできるだろう。ただ、それはあくまで付帯的な事柄であり、本質的なこと、つまり死者を甦らせる、あるいは死者と再会するなどということを成し遂げることは「絶対に」できない。

テレビなどで、「霊能者」などと呼ばれる連中が、あたかも死者との会話を媒介するような、そしてそれが可能であるかのような行為が行われているのを見ることがある。中には、本当にそのようなことを可能とする能力を持った人間が存在するのかもしれないが(僕は決してそれを信用しないが)、99%は金稼ぎ、あるいは話題作りのための詐欺に過ぎない。

死んでしまった人間とは二度と会うことも、話すこともできない。どれほど辛くても、悲しくても、苦しくても、そしてどれほど死者との再会を心から望もうとも、神仏ですら(そのようなものが存在すればの話だが)、決して僕らの望みを叶えてくれることはない。

それが、「人が死ぬ」ということなのだ。

もし父ともう一度会うことができるのなら、僕は何を犠牲にしてでもそれを成し遂げるだろう。父に会いたい。心から、父にもう一度会いたいと思う。でも、それは不可能なんだ。

「あの世」のことは僕には分からない。ひょっとしたら死後、父とまた会えるのかもしれないし、それを強く望んでいる。しかし、今現在この世を生きる僕には、父に会う術はない。人が死ぬということはそういうことであるし、その苦しみを、長い時間をかけて受け入れていく。それが人間が、この人生を生きていく中でのひとつの試練なのだろう。

どうか、いつか父と再会できますように…。


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途切れた絆…

2013.02.02 22:41|死生観
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僕の故郷、新潟の豪雪地帯の今年の冬は、昨年に比べると相当降雪が少なく、例年にないほどの小雪で2月を迎えた。僕も母も、身体に不自由を抱えているので、現在までのところ、「神の恵み」と言えるような冬だ。

本ブログをずっと読んでくださっている方がおられるとすれば、僕には、亡き父が可愛がっていた姪がいる、という話が出てくるにもかかわらず、一切僕の兄弟関係の記述がないことに疑問を持たれているかもしれない。

父と母の間には、僕と、もうひとり三つ違いの姉がいる。彼女については、正直、あまり語りたくないというのが本当のところなのだが、これが、父と僕、そしてこの家のことを記録するブログであるという主旨に則れば、彼女について触れないわけにはいかないだろう。

姉は小さい頃から太っていたこともあり、同級生からいじめにあっていた。僕は、自分で言うのはどうかと思うが、常にクラスの中心人物で、スポーツも勉強もできた。自分が間違っていると思うことを言われれば、例えそれが教員であろうとも、絶対に自分の意志を曲げることはなかった。

一方で、当時の僕は、弱い存在であった同級生を仲間と共にいじめもした。相手が強くても弱くても関係ない、自分の感情の赴くまま、誰とでも争う、単純で思慮の浅い子供だった。

話は大きく逸れるが、昨年、中学校の同級会があり、小学校時代に僕がいじめたことのある女の子に再会した。僕は彼女をいじめたことを深く悔やんでおり、彼女のもとへ謝罪に向かった。

「あなたのことは大嫌いだった」。彼女はそう言った…。「でも、もういいよ。昔のことじゃない」、彼女はそう続けてくれた。当時、彼女がどれほど辛く苦しかったのかは、僕のような人間には十分に理解できないだろう。ただ、ずっと後悔していたことを謝罪し、それを受け入れてもらえたことは、何とも表現しようがないくらいありがたいことだった。

姉も、おそらくは、僕のような連中にいじめられ、心を傷つけられたのだろう。僕が、二つ三つ上級生から、「お前の姉、何なんだよ、あれ。気持ち悪すぎだろ。何とかしてくれよ」と言われ、勝ち目がないのは分かっているのに殴りかかったことが幾度となくあったことを、きっと彼女は知らないだろう。

彼女はなぜか母を恨むようになり、その気持ちはいまだに変わっていないようだ。というのも、父は6月にこの世を去ったのだが、母も5月から、筋の切れた肩の手術のため同じ病院に入院していた。母は、おそらく父の死を予期して、入院を躊躇っていたのだが、僕と伯父とで説得し、入院させることにした。

同じ病院の5階と6階に入院していたので、母は父を頻繁に見舞うことができ、結果としてはよかったのだと、僕も伯父も考えている。僕は父が生きている間も亡くなった後も、母が退院するまで毎日病院へ行き、両親の身の回りの世話や洗濯などをさせてもらった。亡くなった父に対しては最後の親孝行になったと思うし、母に対しても、不肖の息子の数少ない恩返しになったのではないかと、勝手に考えている。

しかし、姉とその家族は、亡くなる前の父の見舞いに行った時でも、決して母の見舞いに来ることはなかった…。母がそのことを、どれほど情けなく、辛く、そして哀しく思っていたのかは僕だけしか知らない。

姉は完全に誤解している。姉がスクーターを買って欲しいと言った時、短大に行きたいと言った時、車が欲しいと言った時、ことごとくそれに反対したのは母ではなく父だったのだ。僕はそのことを身近で見聞きしていたのでよく分かっている。

しかし姉は、おそらくは、母に対して良い感情を持っていなかった祖母からの言葉を真に受け、彼女の要望を潰しているのは母なのだと誤解し、今に至っているのだと思う。

僕は調子のいい人間なので、両親とも姉とも、多少の諍いはあったとしても、比較的良好な関係を保ってきた。

ところが、父が亡くなる直前に、僕とは血の繋がりのない姉の親族が、僕に対して言われなき誹謗中傷を浴びせたことにより、僕と姉との関係も完全に切れてしまった。これは僕からの見方であるので、彼らには彼らなりの「信義」があるのかもしれないが…。

姉は、父の49日の法要に来て以来、実家に一切寄りつかない。父の納骨にも来なかった。そんな姉を、今、この世にはいない父はどう見ているのだろうか。

昔から姉と母は折り合いが悪かったので、まだ僕と姉の関係が良好だった頃、僕は姉によく言ったものだ。「この年になると、親なんていつ死ぬかわかんないんだから、なるべく顔を見せてやった方がいいんじゃないの」。それに対して、姉はいつも言葉を濁していたが。

ここまで述べてきたことは、僕から見た事実、同時に一方的な見解であり、両親や姉がどのように考えてきたのかはよく分からない。もしかして、僕が寝たきりになって実家に帰ってくることなどなければ、彼らはもっと良い関係を保つことができていたのかもしれない。そうであれば、僕が家族を滅茶苦茶にした可能性もある。もしそうであれば、両親はもちろん、姉に対しても心から申し訳ないと思う。

ただ、正直、僕には分からないんだ。何で自分を産んでくれた親を大切にできないのか。姉が僕を嫌いなのであれば、それはそれでいい。でも、母だけは大切にしてあげて欲しいと、心から思う。嫌いな僕が実家にいるから、母のところに来ることができないのだろうか。

だとしたら、僕は自分のことなどどうでもいい。いつでも実家を出ていく覚悟はある。僕自身は、もう十分両親の愛を感じることができたし、何の後悔もない。ただ、父が死に、そして将来母が死んだあと、姉が後悔するようなことだけは、あってほしくない。

僕はこんなふうに考えているんだけど、父はどう思っているんだろう…。お父さん、どうかお父さんの考えを教えて。僕にはもう分からないよ…。そして…、どうか、どうか、可哀そうな姉ちゃんを救ってください。心からお願いします…。


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