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届け孫の想い

2013.01.21 22:33|死生観
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僕には高校三年生の姪がいる。つまり、父にとっては孫にあたる。

彼女は実家の近所のスーパーでアルバイトをしているため、ほぼ毎週末我が家を訪れる。その度に、父のため、仏壇にお参りしてくれる。

彼女は、容貌が父に似ているせいか、小さな頃から父のことが大好きだった。僕が帰省した折、父と飲んでいると、たまに遊びに来ては、座っている父によじ登ったものだ。残り少なくなった父の髪を遠慮なく掴み、父の肩へと登る。わずかな髪が大量に抜けてしまうのではと、こちらがひやひやした(笑)。

父が亡くなる前日も病院にお見舞いに来てくれた。彼女が父の手を握り、「じいちゃん、また温泉に連れてって」と声をかけた時、昏睡状態にあった父が一瞬ビクッと動き、彼女の手を力強く握り返した。それが、父のこの世で最後の肉体的反応となった。

ほどなく父の手の力は弱まり、昏睡状態が続き、そのまま黄泉の国へと旅立って行った。父が亡くなったのはその日の深夜だったので、彼女は今際の際に立ち会うことはできなかった。父もさぞかし残念だったことだろう。

数カ月前、彼女は就職試験を受けることになっていた。その頃は、我が家に来るといつも、父に試験に合格させてくれるよう祈っていた。その後、無事合格した彼女は、父に何度もお礼を言っていた。おそらく父の助けがなくても彼女は合格しただろう。ただ、彼女が心から愛した父が見守っていてくれると思えたことは、きっと彼女に勇気を与えたのだろう。

3月には高校を卒業する彼女は、2月末でバイトを辞めることになっている。社会人になれば、なかなか父のお参りに来ることはできないだろう。父も寂しくなる。

彼女が我が家に来た時は、僕が車で彼女を家まで送ることにしている。特に今は雪国の冬。僕が送らなければ、彼女は電車を利用しなければならないので、バイト先から最寄駅まで、そして彼女の家の最寄駅から家までの道のりを、厳しい寒さの中歩かなければならない。

もちろん、可愛い姪を送ってあげたいという気持ちからそうしている。しかし同時に、もし父がまだ生きていたらきっと彼女にそうしてあげると思うので、父の気持ちを慮ってというか、父の代わりとして成すべきことを成しているという気持ちもある。

そう、父が生きていたら…。

高校を卒業した彼女と会う機会は少なくなるだろう。それでも、できる限り、父が生きていたら彼女にしてあげたいと思うであろうことを、僕なりにやれればと考えている。

彼女の父への想いは必ず父に届いていると思う。父もきっと幸せな気持ちでいることだろう。それでも、今の父には、物理的に何かを彼女にしてあげることはできない。父の代わりになど決してなれないが、少しでも彼女の人生の役に立つことで、彼女が父を想っていてくれる気持ちに応えたい。

それが、尊敬する父に対する息子としての義務であると思うし、そうすれば、父も少しは喜んでくれるだろう。孫と息子の想いよ、天国にいる父に届け。


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父の手

2013.01.13 16:06|死生観
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父は約60年の間、大工として働いた。入院する直前まで親戚宅の改築の仕事に通うなど、「職人」としての人生を全うした。

台風の時などは、現場の様子が気になり、深夜にも関わらず出かけて行った父の姿を子供ながらに覚えている。自分の仕事に強い責任感を持った、真面目な人間だったと思う。

父には左手の中指の第二関節から先が無かった。あれは僕が小学校の低学年の頃だっただろうか。休日に家で仕事をしていた父は、誤って電気ノコギリで指を切り落としてしまったのだ。

その時のことは鮮明に覚えている。取れてしまった指をタオルに包み、病院に向かう父の姿を…。とてつもなく痛かったことだろう。普通の人間であれば泣き叫んでもおかしくないのではないだろうか。しかし、本当に辛抱強い父は、死の床でそうであったように、その時も「痛い」などとは一言も言わず、ただ淡々としていた。

癌で入院した父を、僕は約3カ月に亘り、ほぼ毎日見舞った。そして病室を去る時はいつも、「じゃ、また明日来るから、気を付けてね」と言葉をかけた。

人と別れるとき、右手を挙げるのが僕の癖だ。父の病室を去る時も、いつもそうしていた。そのうち、父にもその癖が移ったのか、僕が言葉をかけて右手を挙げると、父も「気を付けてな」と言って左手を挙げるようになった。

そうしたやり取りが2カ月以上続いたので、僕が病室を去る時の、ベッドに横になりながら、息子を気遣うような眼差しで左手を挙げる父の姿がいまだに忘れられない。そう、あの指を1本失ってしまった左手で、父が軽く手を振る姿を。

死が近付いてくるにつれ、父は眠り込んでいることが多くなり、そんな父を起こさないようにと、僕もそっと病室を去ることが多くなった。いつも優しい眼差しで僕を見送ってくれていた父の、あの姿が見られないことを哀しく思いながら。

最後に父が左手を挙げて僕を見送ってくれたのがいつだったのか、今は明確には覚えていない。でも、2カ月以上見つづけた父のその姿は、しっかりと僕の目に焼き付いており、今でも僕に、「気を付けてな」と日々語りかけてくれている。


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父亡き新年…

2013.01.02 21:07|死生観
myoko.jpg(写真は2013年元旦の実家付近)

父が去ってしまってから、初めての新年を迎えた。父のいない、母と二人だけの正月はひどく寂しい。そして今日は、年が明けてから初めての父の月命日。悲しみが薄れることは決してないが、とにかくあれから7カ月が経過した。

昨年の今頃、父は放射線治療を始め、それが終われば一旦家に帰れると聞かされていたようだ。そのため、チューブで注入されていた栄養剤を、自宅に帰ってから自分で注入できるようにするため、毎日のようにその練習をしていた。父はそれを信じて、一生懸命頑張った。結局、父が自宅に戻ることは二度となかったが…。

昨年の正月の夜を、父はたった一人で病院で過ごした。寝たきりだった僕の世話のため、母は泊まってあげることができなかったからだ。病気が快方へ向かう兆候も見えず、それでも近いうちに家に帰れるかもしれないという小さな希望のみを抱いただけの父は、どれほど寂しく、不安だったことだろう。

それでも、と母と僕は思う。おそらくは、次の世界で今は平和に暮らしているであろう父を思い、彼は昨年よりは幸せなのではないかと。お互いがお互いを納得させるかのように、母と僕はそう話した。

上の写真は、今年の元旦、父が建ててくれた実家の近くの景色。そこには、雪国の冬にはなかなか見られない、雲ひとつない青空が広がっている。あの空の向こうのどこかに、今父はいるのか、などと想像してみる。

去って逝った人が、今どこで何をしているのかを知ることは、少なくとも僕にはできない。僕にできるのは、ただその人が、今いるべき場所で安らかに過ごしているよう願うことのみだ。その思いが父に届くことを祈りながら。

そう、僕はいつも祈っている。父がこの世で囚われていた全ての苦しみから解放され、祝福を受け、美しいものしか見えない、いつも笑顔に満ちた、今いる世界で幸せに過ごしていることを。そして、父が決して母と僕の存在を忘れず、いつも僕らを見守ってくれていることを。


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